道祖神祭りEVENT

野沢温泉の道祖神祭り

道祖神は、「どうろくじん」「さいのかみ」「さえのかみ」などとも呼ばれ、災厄の進入を防ぐ神とされ、石像などに刻んで村境や辻などに祀られている神様。そして、小正月に正月飾りや締め飾りなどを焼く行事として、野沢温泉で古来行われてきた行事が道祖神祭りです。全国的には「どんど焼き」などの呼称で親しまれています。

野沢温泉の道祖神祭りは壮大な規模で行われることで知られています。この祭りがいつ始まったかは定かでありませんが、道祖神碑には「天保十巳亥年」と刻まれていることや河野家に残されている「文久三年道祖神小豆焼帳」などから江戸時代後期にはすでに盛大に行われていたことが推察できます。

野沢温泉の道祖神祭り

日程(毎年)

1月13日 午後1時~ 御神木里曳き
1月14日
1月15日

昼過ぎ
社殿組み立て
社殿完成予定
1月15日 19:00
19:30
20:00
20:30



20:50
22:00頃
火元もらい
燈篭到着
花火、道祖神太鼓
火元到着
野沢組惣代の火つけ
初燈篭の火つけ
子供の火つけ
大人の火つけ開始
大人の火つけ終了

国の重要無形民俗文化財

国の重要無形文化財道祖神は災厄の進入を防ぐ神であるとともに、子供の成長や子宝祈願などの対象として、ほぼ全国に広く祀られている民間信仰の神です。中部地方から関東地方を中心とする地域では、この神を石像などに刻んで村境などに祀り、この祭りとして小正月に火祭りを行うことがひとつの特徴となっています。長野県の北信地方では、初子の祝い・厄年の祓い・良縁祈願などの性格をもつとともに、火をめぐる攻防戦を伴う道祖神祭りが伝承されています。

かつて野沢温泉では、村内2箇所で道祖神祭りが行われ、横落のさかきや旅館の前庭の道祖神を「上(かみ)のどうろく神」、寺湯の河原の道祖神を「下(しも)のどうろく神」と呼んでいました。
その後、大正元年に警察から火災予防のため「人家から離れること百間以上たること」という達しがあり、上下の組が一緒になって行うことになました。場所は上組の片桐家所有地の馬場ノ原に移り、火元は寺湯の河野家から出すことになりましたが、豪壮な社殿造り、華麗な初灯籠、清楚で可憐な木造道祖神作製など、行事内容はそのまま引き継がれ、競技的かつ美的、全村一致団結の信仰的要素はさらに盛大になり、近郷にない卓越した民俗行事となって存続しています。
そして、日本を代表する道祖神行事の一つとして1993(平成5)年12月13日に国の重要無形民俗文化財に指定されました。

木造道祖神

木造道祖神

この神様は「八衢比古神(やちまたひこのかみ)」(男)と「八衢比賣神(やちまたひめのかみ)」(女)と伝えられています。容姿が非常に見苦しいため婿にも嫁にも行けずにいたこの二神が結ばれたところ、めでたく男子が出生したという、縁結びと子宝の神であるとされています。
男女1対の神様は、各家庭などで、それぞれ素朴な味わいのある手作りで、神棚に1年間どこの家でも祀られています。1月15日の道祖神には、会場にある大きなたらいに自分の家の神様を納め、他の家から来た気に入った神様を持ち帰ります。(これが縁結び)お札や書初め等のご供養は野沢温泉の火祭りで各家のお札や書き初め、お守り、門松などは、1月14日または15日午前中までに会場へ持ち込みます。

祭りの組織

祭りの組織

野沢温泉の道祖神祭りは、地区を代表する野沢組惣代が総元締めとなり、経験者から選ばれた山棟梁と社殿棟梁などの役員の指揮のもと「三夜講」と呼ぶ厄年の男たちが祭りを執行します。
男の厄年を迎える数えで42歳・41歳・40歳の3つの年代が「三夜講」と呼ぶ組織を編成し、この同じ仲間で3年間行事を行います。ここへ25歳の男の厄年が毎年加り、また、42歳にあたる者が幹事役を勤めます。3年間行事を勤めると、次の三夜講に引き継ぎます。
祭りの準備を含め一週間以上も自分の仕事を犠牲にして祭りに携わることは、野沢の男となるという気持ちが宿命的なものとして受け止められています。この厄年行事を勤めることにより、初めて村の大人の仲間入りができ一人前として認められるとされています。
祭りは、人間づくり、仲間づくりでもあるのです。

初灯籠とは?

初灯籠とは?

前年に長男が誕生した家では、子供の成長を祈って「初灯籠」を作り、火祭りに奉納します。
灯籠作りは、灯籠棟梁の指揮に従って親戚や友人たちが集まって作られます。灯籠の高さは5間(約9メートル)、中心柱は下段がミズナラ、上段が杉を使い、最上部にオンべ(御幣)、その下に傘、この傘の周囲に赤色の垂れ幕を回らし家紋を付けます。傘の下には風鈴に、丸灯籠、白扇、ようらくを吊します。次には絵を描いた菱灯籠、そして竹ひごを柳の枝のように垂らし、中央に万灯籠を付けます。一番下には竹の輪を二重に吊し、親戚や友人たちから寄せられた書き初めをたくさん下げます。
灯籠作りは秋のうちに行わ1月11日に「灯籠丸め」と称して家の前に灯籠を組み立て完成の祝宴が開かれます。そして火祭り当日まで毎日家の前に立てられます。
1月15日の夕方、親戚や友人がその家に集まり灯籠送りの宴を開いた後、たいまつの火を先頭に灯籠が会場へと運ばれます。火祭りの攻防戦の末、社殿が最高潮に燃え上がったとき灯籠を燃やします。

御神木里引き

御神木里引き

社殿を造る木材は前年の秋に山から切り出されます。
ご神木引きは、社殿の中心となる5本のうちの2本を25歳の厄年と42歳の厄年が二組に分かれて日影ゲレンデから温泉街を通り会場まで三時間あまりをかけて引き出します。長さ20メートルもあるブナの大木を引く沿道の家からは御神酒を奉納され、その都度大声で披露し道祖神の手締めが行われ、見守る人々に御神酒が振る舞われます。

社殿造り

社殿造り

社殿造りは、14日の朝から深夜まで及び、15日の昼ごろ完成します。社殿造りはすべて手作業で、危険が伴うので、この時ばかりは酒も断ち完成まで黙々と作業が行われます。
社殿は昔ながらの作り方で、針金や釘などはいっさい使われていません。社殿に厄年が乗る部分の高さは10数メートル、広さは8メートル四方もあります。

道祖神祭りの流れ

19時 火元もらい

厄年の代表者が河野家に火をもらいに行き、「火元もらい」の儀式が行われます。
いろりを囲んで道祖神の歌を歌ったりかなりの量の神酒を飲まされます。
火祭りで使われる火は古式にのっとり、代々伝わる火打ち石で採火されます。

火元もらい

20時 たいまつ行列

火は、大きなたいまつに付けられ、厄年代表者らは道祖神唄を歌いながら火祭り会場へと向かいます。

<道祖神の唄>
目出度く建てた 命あるなら来年も また来年も 命あるなら来年も
唄えばつける サアてば友達良いもんだ おいとまとれば 笠の露やら涙やら
穂に穂が咲いた 升はいらない箕で計れ 夜明けにひとつ 咲いてくれろや梅の花
どんとと鳴るとこどこだ あれはお伊勢の大神楽 大神楽にほれて 行かじゃなるまいお伊勢まで
添わせておくれ 縁を結ぶの神ならば 良い娘に良い衣装着せて 袖の下から乳握る
乳ょ握らせて 乳は内緒の締め樽だ 締め樽締めて 嫁にやります来年は
若い衆頼む 露は寝笹の葉を頼む お月のように 殿さ心はまんまると

たいまつ行列

20時30分 火祭りの攻防戦

いよいよ、激しい攻防戦が始まります。火付けは最初、祭りの主催者である野沢組総代、次に灯籠の奉納者、その次は子供たち、そして、大人の火付けとなります。
社殿正面前に燃え上がる火もとからたいまつに火を付け社殿正面へ攻撃します。火付けをするのは一般村民、それを防いで社殿を守るのが25歳の厄年、社殿の上に上がっているのは42歳厄年。

火祭りの攻防戦

22時すぎ 社殿火入れ

約1時間半にわたる攻防戦の末、双方の手締めにより、社殿に火が入れられます。
次第に社殿が燃え上がり、大きな炎が空高く燃え上がり、火祭りは終わります。

燃え上がった社殿が、やがて燃え落ちるまで見逃せません。(23時すぎ)

燃え落ちた社殿は翌日まで燃えていて、翌朝餅などを焼いて食べる人がたくさんいます。ここで餅を焼いて食べると風邪を引かずに1年間健康で暮らせると言われています。

社殿火入れ
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