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森と水の恵に生きる村

「ブナの森に水筒は要らない」

これは、ブナの森が高い保水力を持つことを表現した言葉。
野沢温泉村の東側に位置する上ノ平高原一帯には広大なブナの原生林が広がっています。
天から降り落ちた雨や雪は、この森でおよそ50年の歳月をかけて
ゆっくり大地に染み渡り、ろ過され、やがて地表に湧き出た上質な軟水が
村に多くの恵みをもたらすのです。

ここは、森と水の恵みに生きる村。
心を奪われる美しい原風景も、
人々の生活に寄り添った温泉も、
いにしえから育まれてきた文化も、

すべてが村の誇りであり、宝物なのです。

長野県北部に位置する
全国有数の豪雪地帯

野沢温泉村は、日本の真ん中に位置する長野県北部の美しい地域です。この村の約50%は豊かな山林に覆われており、その素晴らしい自然環境は上信越高原国立公園に指定されています。冬には豊富な雪に恵まれ、スキーや温泉を楽しむ観光客で賑わいます。また、主要都市からのアクセスも良好で、周辺の観光スポットを巡るのにも最適です。

7つの地区が
地域の魅力を豊かにする

野沢温泉村の人口は約3,600人、豊郷、東大滝、前坂、七ヶ巻、虫生、平林、坪山の7つの地区から成り立ち、それぞれ異なる文化や歴史を持ちながら、共通して温泉文化を育んできました。地域ごとの独自の祭りや料理、伝統的な暮らしの知恵が今も息づいており、訪れる人々に様々な体験を提供しています。

温泉の恵み

自然と歴史が育む
温泉の地

日本で唯一、村の名前に「温泉」がついている野沢温泉村。聖武天皇の時代に僧・行基や山伏が発見したといわれるこの地は、豊かな温泉に恵まれ、古くから知られています。野沢温泉村のほとんどは毛無火山の噴出物によって形成され、これらの火成活動と断層が温泉の湧出を育んでいます。この自然の恵みは、村の人々にとって欠かせない存在となっています。

温泉へ

【 村の台所 】

「野沢温泉の台所」とも
称される麻釜

麻釜は90°近い源泉が毎分約500ℓも湧出する村指定の天然記念物です。
大釜・丸釜・ゆで釜・竹のし釜・下釜という5つの大きな湯だまりからなり、自然の茹で釜として近所の村人が野菜や卵を茹でながらご近所さんんと情報交換する場であり、地元の人にとって麻釜は共同の台所です。

【 湯仲間と外湯文化 】

外湯は村人の共有財産であり
「生活の場」

外湯は江戸時代から「湯仲間」制度によって守られてきた村民の共有財産で、村民の生活に密接に関わる大切な資源です。この湯は、村人にとって仕事の疲れを癒し、コミュニケーションを楽しむかけがえのない空間であり、共同浴場は「生活の場」として大切にされています。湯仲間によって生まれる絆と交流は、人生を豊かにする大切な要素となっています。

【 洗濯湯 】

昔の暮らしが息づく
温もり溢れる景色

13の外湯のうち6か所には温泉を利用した共同の洗濯場が併設されています。ここでは村民が洗濯や野菜洗いに活用し、昔の暮らしが息づいています。晩秋の風物詩「お菜洗い」は、名産の野沢菜を温泉水で丁寧に洗い込む伝統行事です。おしゃべりを楽しみながら作業をすれば、寒さも忘れて、肌もしっとりと潤う―そんな温もり溢れる景色が広がります。

【 湯屋建築 】

高天井に湯気が吸い込まれていく美しい湯屋造り

野沢温泉村の「湯屋建築」は、温泉文化を反映した独特の建築様式です。これらの湯屋は、地域の伝統と機能性を兼ね備え、木造の風情あるデザインが特徴です。村の中心的存在である大湯は名立大工による百十余年前の木造湯屋建築で、地元のスギ材を使用し、湯煙を追い出す上屋を設けた湯屋造りが情緒をかきたてます。

雪の恵み

ブナの森のスキー場で会いましょう。

野沢温泉スキー場は今年で開場101年となりました。

今から100年余も前。
スキー場をつくるなんて計画は、突拍子もないことだったろう。
そんなの無理だろ、という声も少なくなかったはず。
ただ、そこには大きな希望と、言葉にならないほどの熱い想いがあったのだと思う。

北信濃の山々に囲まれ、ふもとには自慢の温泉が渾々と湧き出る古来の地。
良質なパウダースノーが音もなく降り積もるこのブナの森は、
スキーの歴史と共に育まれたウインタースポーツを文化にまで押し上げ、
100年余もの長きに渡り牽引してきた歴史を持つ。

さまざまな時代を乗り越えてたどりついた今、
雪から生まれる楽しさや、そこにある笑顔を知っている私たちは、
時代や環境が変化する中にあっても、この幸せな光景が末永く続くことを心から願うのです。

この美しいブナの森のスキー場を、雪を、文化を、そして人々の笑顔を、
情熱を持って守り抜き、未来を生きる人たちに繋いでゆくためにも。
私たちは、つぎの100年を目指し、みなさまと共にこれからも真摯に歩み続けます。

スキー場100周年記念サイトへ

HISTORY OF
NOZAWAONSEN
SKI RESORT

  • 1923

    野沢温泉スキー倶楽部創立

  • 1950

    第一号リフトが完成

  • 1966

    日影ゲレンデの賑わい

  • 1995

    世界スキー指導者会議

  • 2005

    村営から民営のスキー場に

野沢温泉スキー倶楽部と
オリンピアン

2023年に創立100周年を迎えた野沢温泉スキー倶楽部。
野沢温泉は、スキーを通じた選手育成に力を入れている村で、特に、野沢温泉スキー倶楽部は多くの選手の成長を支えており、練習環境や経済的支援を提供しています。
これまでに16人のオリンピック選手を輩出しているこの地には、ブナの森を通して巡る水や温泉の循環、そして、人々の暮らしの循環から生まれる強さがあります。

人と人を繋ぐ祭

祭りは人間づくり、
仲間づくり

三百年もの歴史があり、日本の三大火祭りの1つとも言われる「野沢温泉の道祖神祭り」。
毎年1月15日に行われ、国の重要無形民俗文化財にも指定されています。
地区を代表する野沢組(惣代)が総元締めとなり、「三夜講」と呼ばれる厄年の男たちを中心に祭りが執行されます。厄年行事を務めることにより、初めて村の大人の仲間入りができ、一人前として認められるとされています。祭りは、人間づくり、仲間づくりでもあるのです。

道祖神祭り

10月中旬

御神木伐採

道祖神祭り会場にそびえる社殿は、手作業でつくられ、その準備は前年の秋から始められます。厄年の男衆(25歳と42歳)が約20mものブナの御神木、桁 、垂木になる材料、社殿最上層に積むボヤと呼ばれる枯枝などを伐り出します。

1月13日

御神木里曳き

社殿の中心となる5本のうちの2本を25歳と42歳の厄年の男たちが2組に分かれて、日影ゲレンデから温泉街を通り、会場まで約3時間をかけて祭場まで曳き出します。沿道の家からは御神酒が献納され、お祝いの手締めが行われます。

1月14日

社殿組み立て

14日の朝から始まる社殿の組み立ては翌日の昼ごろ完成します。全て昔ながらの方法でつくられ、針金や釘などは一切使われていません。 厄年の男たちが乗る社殿上部の高さは 数10m、広さは8m四方もあります

1月15日 20時50分頃

火元と火祭りの
攻防戦

厄年の代表6名が火元を寺湯の河野家からもらいます。火つけをするのは一般村民、それを防いで社殿を守るのが25歳の厄年、社殿の上に上がっているのは42歳厄年。激しい攻防戦が約1時間半に渡って繰り広げられます。

1月15日20時50分

社殿火入れ

攻防戦の末、双方の手締めにより社殿に火が入れられると、大きな炎が空高く燃え上がり、火祭りは終わりを迎えます。燃え上がった社殿が崩れ落ちる瞬間まで目が離せません。戦った25歳厄年の若者たちは、お互いを称え合い固い絆で結ばれ、その絆は永遠に続くのです。

猿田彦が炎と共に舞い踊る

燈籠祭り

毎年9月

【湯澤神社例祭】

8日 夜祭り(燈籠祭り) / 9日 例祭

9月8日の夜祭りでは、お練りの道中、神の降臨の先導者として道を開く猿田彦の舞が行われ「道中の悪魔を追い払う」とされる獅子舞が行われます。境内では三十六歌仙舞も行われ、最終は深夜時をまわるほど。燈籠の美しさはもちろん、夜空を彩る花火もまた盛大です。

温泉と祭りを支え野沢温泉村を繋げる

野沢組惣代

野沢組は江戸時代後期より続く伝統ある野沢温泉の村人の自治組織です。野沢組に対して村の人々は「惣代さん」と敬意をこめて呼んでいます。村人の共有財産である山林や水源、温泉を守り、村人の生活全般を支えています。

野沢組ホームページ

食の恵み

野沢菜物語

長野県の郷土食として定番中の定番といえば、「野沢菜漬け」。
その野沢菜の発祥は、野沢温泉村だったことをご存知でしょうか?それは、今から250年ほどさかのぼった江戸時代中期の宝暦年間(1751~1763)のこと。健命寺の住職が持ち帰った天王寺蕪の種子から始まりました。

01

野沢菜発祥の秘密

住職が天王寺蕪の種を寺の庫裡裏の畑にまいたところ、蕪が小さく葉柄が大きい天王寺蕪とは違ったものが育ちました。野沢温泉は標高600メートル近く、積雪量の多い高冷地です。温暖な西国育ちの天王寺蕪は、ここですっかり突然変異をおこし、野沢菜が誕生したわけです。野沢菜という呼び名はあとからつけられたもので、蕪菜と呼んでいました。地元の人は、お菜やお葉漬けと呼んでいます。

02

野沢菜物語

1. 野沢菜の花

野沢温泉では、野沢菜を作る畑を「麻畑」と呼んでいます。晩秋に蒔いた種は5月に入ると1メートル近くに成長します。そしてレモンイエローの野沢菜の花が鮮やかに村々を埋めつくすのです。黄色いカーペットのような、それは見る人の心を覚醒させるようなキラキラと輝く風景です。

2. 収穫

菜の花が散るとやがて種の収穫が始まり、漬け菜用の種蒔きは8月末頃に行われます。種を蒔いて3日程で芽を出し、5~6日で「一番間引き」を行います。その昔は「鯛の刺身よりうまい」といい、野沢菜の初物を珍重します。そして10月末から11月半ばにかけて村のあちこちの菜畑では忙しい取入れが行われます。

3. 菜洗いと漬け込み

お菜洗いは野沢温泉の秋の風物詩。ここ野沢温泉では温泉の湯で洗います。温泉で洗うと「虫離れ」がいいといわれ、漬けやすく味もひときわよくなります。
洗い揃えた菜を丁寧に並べて塩をふる漬け方のコツは、俗に「三束一升」。三束十二貫(45キロ)ほどの菜に一升の塩を降りかける。その方法は母親から娘に、姑から嫁へと伝えられてきました。

03

野沢菜 自慢の味

「本漬け」が食べられるのはスキーシーズンの始まる12月中旬頃から。当地で樽から出したてのもの「浅漬け」もシャキシャキの歯触りで人気です。野沢温泉では浅漬け・本漬けに加え、「時漬け」と呼ばれる野沢菜の切り漬けが食されます。
酸味が出てきた頃の野沢菜漬けを美味しくする調理方法で食べる野沢菜も、また味わい深く心に残る一品です。

野沢菜まめ知識

野沢菜の一番おいしいところは?

本場の野沢菜は、根蕪の張りがたくましく、その大きさはご飯茶わんくらいで、1つの蕪から出る葉柄は通常5本、葉は上を向いて開き、葉柄の切口は円形で中溝深く、その溝巾の狭いものが良しとされています。
1番おいしいところは、蕪の付け根から拳1握りから2握りのところの葉柄の部分と言われています。

野沢菜の偉大なる
健康パワーとは?

野沢菜漬けは、栄養素が豊富でガン予防にも優れた食品ということが研究発表されています。また、ビタミンAに代表されるカロテンが多く含まれており、抗発ガン作用、免疫賦活作用があります。また、野沢菜漬けは、ヨーグルトと同じ乳酸菌発酵食品です。
そして、神経や筋肉細胞の活動を活発にし、骨の構成要素に必要なナトリウム、カリウム、カルシウムが豊富で、食物繊維、亜鉛が含まれていることも発表されています。
このようにいろいろな栄養素が豊富な野沢菜漬けは伝統食でもありながら、健康志向の現代人にもぴったりの食べ物なのです。

野沢菜のざわな蕪四季會社

あなたも野沢菜の「蕪主」になりませんか?

野沢菜のふるさと野沢温泉で漬け込んだ野沢菜を宅配します。でも、それだけでは唯の通信販売。 お申込みいただいたあなたは、野沢菜の「蕪主」。 シャレとユーモアを駆使して楽しいイベントや特典を用意し、地元の人々とふれあいのチャンスを作ります。 それが『野沢温泉のざわな蕪四季會社』です。野沢菜の四季を通じておつきあいができれば幸いです。

郷土料理

野沢温泉の味

奥信濃の一帯は日本でも有数の山菜の宝庫。キノコ、野菜、そして野沢菜と多くの食材に恵まれています。また、冷たく清らかな渓流に住むイワナややまめ、千曲川のうなぎなど。野沢ではこうした新鮮で豊かな材料を使って独特の郷土料理を作り出しています。学校の年中行事までとり入れられており、郷土色の濃い料理です。

たけのこ汁

春の訪れを告げる山菜「根曲がり竹」と、鯖の水煮でつくるお味噌汁は野沢温泉の名物郷土料理。

いもなます

江戸時代からお祝いの席の料理として作り伝わる郷土食。シャキシャキした歯ごたえが楽しめます。

とうたち菜の
おひたし

野沢菜が冬を越し、春に薹が立った新芽を「とうたち菜」と呼び、苦さと甘さの味わいに春を感じます。

米

貴重な水の循環が育むお米

ブナ林に豪雪が降り積もり、真夏でもなお冷たい水のとうとうと流れる野沢温泉村。冷たい雪解け水と熱い温泉が混ざり合い、美味しいお米を育む最適な水が生まれます。この豪雪地での棚田栽培は、雪解け水が温泉を作り、それが冷たい水となり、豊かな自然の恩恵がモチモチの美味しいお米を育てます。

酒

貴重な自然循環から生まれる酒

「水」は人の手では造れない貴重な財産です。雨や雪がブナの木々や土を通り、地中に染み込んでいき、長い年月を経て再び地上に噴き出します。水の循環が育む豊かな生命と、野沢温泉村から湧き出る軟水を使った日本酒やクラフトビール、クラフトジンなどが生まれています。

伝統芸能

つる細工

野沢温泉のつる細工は江戸時代から背負い篭や花篭として使われ、あけび蔓は毎年10月から11月に採取し、温泉で柔らかくして編まれます。昭和59年に県の伝統工芸品に指定され、宿や土産店には鳩に車輪が付いた独特な形の「鳩車」が展示されており、全国郷土玩具の番付で「東の横綱」に推挙されています。

野沢温泉小唄保存会

昭和5年、野沢温泉村で開催された第五回明治神宮スキー大会に合わせ、観光宣伝と誘致のために制定されたのが野沢温泉小唄です。時雨音羽(作詞)・中山晋平(作曲)・藤間芳枝(振付)に小唄制作を依頼。遠く近く流れるチャラチャラと水の音がリズムをつくり、メロディとなり、囃子となって歌詞が生まれました。

道祖神太鼓保存会

昭和48年の道祖神祭りから続く道祖神太鼓は、野沢温泉の道祖神祭りを表現した勇壮なもので、「添わせておくれ縁を結ぶ神太鼓」や「道祖神太鼓あれは子宝お目出度い」といった言い伝えがあります。この太鼓は村人同士や人と神を繋げる役割を果たし、野沢温泉村のコミュニティを豊かに育んできました。

人と笑顔

岡本太郎ゆかりの地

岡本太郎氏は野沢温泉と
大変にゆかりの深い芸術家

昭和49年12月、姉妹村オーストリアのサン・アントンから送られたブロンズ像のデザインを岡本太郎氏が手掛けたことが縁となり、平成3年に野沢温泉村の初代名誉村民に。村役場前には岡本太郎氏作のレリーフ「野沢の乙女」があり、「湯」の文字は観光宣伝に活用され、野沢温泉村の中で今なお生き続けています。

レリーフ野沢の乙女

高野辰之博士の
晩年の地

高野辰之記念
おぼろ月夜の館 斑山文庫

野沢温泉は、高野辰之博士が別荘を持ち、70歳で生涯を閉じた地です。彼を偲び、その業績を顕彰するために建設された施設で、文部省唱歌「春が来た」「故郷」「朧月夜」の作詞者として知られています。菜の花広場が整備され、斑山文庫の塔には8つの鐘が設置され、定時に唱歌が奏でられています。

おぼろ月夜の館

ここでは笑顔も
自然湧出

気さくな人がいて、
幸せな笑顔がある。

野沢温泉村についてもっと深く知りたいなら、地元の人々に話しかけてみることをおすすめします。村民はこの地と自然を愛し、ここで生まれた文化を誇りに思っています。「笑顔も自然湧出」は、自然と共にある村の豊かさを象徴しています。村人たちとの触れ合いは、きっと忘れられない思い出となるでしょう。